戦前のこの地は陸軍兵器学校(陸軍工科学校)の剣道場であったが、昭和17年に大日本射撃協会が財団法人になった際に払い下げを受け、また敷地を借り受けて学連とともに事務所をこの地に移転した。
戦中の空襲により度々焼失の危機に直面したが、射撃協会職員の必死の防火により奇跡的に戦火を免れ、戦後は空気銃射撃場に改造され、小石川エア・ライフル射撃場となった。(木造平屋)
トンネル射撃場とこの空気銃射撃場を始めとした施設の急速な復旧とともに、日本射撃協会(昭和24年発足、後の社団法人日本ライフル射撃協会)や、日本学生ライフル射撃連盟(昭和28年設立)の再建も、帥尾源藏氏(昭和36年逝去)を始めとした有志の主導で進められた。
(この建物敷地内に帥尾氏が居住していた)
昭和28年に学生連盟が再建された際は芹沢新平氏(昭和56年逝去)の自宅敷地内(世田谷)に芹沢氏の自費で学連事務所が建てられた。氏の逝去後も夫人のご厚意により使用させて頂いていたが、後に後楽園射撃道場(後述)内に移転した。
この小石川エアライフル射撃場には、昭和38年まで日本ライフル射撃協会の事務所があったが、同年に原宿の岸記念体育会館内に移転し、現在に至る。
協会事務所が移転した後、小石川エアライフル射撃場は建物の老朽化によりパレス後楽園へと改築され、地下1階にエアライフルとビームライフル共用の射撃場を備えた後楽園射撃道場(昭和54年完成)として運用された。
道場では学生連盟や東京都ライフル射撃協会、日本銃砲史学会の会合等が開かれたり、主にビームライフル射撃場として学生大会や文京区民大会、体験射撃などが行われていた。後に全国デジタルスポーツシューティング大会の東京会場としても使用されたが、2009年1月に後楽園射撃道場は閉鎖され、終焉を迎えた。
(昭和38年頃の施設)
この後、日本ライフル射撃協会は事務所を小石川エアライフル射撃場から岸記念体育館内に移転。
右下には後楽園球場(後の東京ドーム)が見える。
なお、地下トンネル射撃場は戦没者慰霊霊苑、中央大学後楽園キャンパスと中央大学付属高校の地下を写真のように通っているものと思われる。